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日記はいいな
はてなダイアリーがなくなるということでここのことが思い出されひさびさに戻ってきた。読み返すと直近の日記、とくに2014年から2015年にかけてはたくさんの別れがあって、読んでいるだけで自分の文章なのに泣いてしまってやべ〜なと思った。そして思ってる以上に、わりと自分ちゃんと書いていたなと感心してしまった。いまのわたしは自分に対してもっといいかげんになってしまった。

日記をかくということは、頭や気持ちの中でごにょごにょとしているものを言語化してみえる化しておくということだ。
ごにょごにょをごにょごにょのままにして、自分が何を考えているかよくわからなくなって、人にちゃんと伝えられなくなって、まぁいいやが積み重なって、まぁいいやの権化みたいなだらしのない人間になってしまうっていうかもうなり果てているのではないかと、割とちゃんと書いていた昔の自分を振り返って思った。

日記はいいな 改めて




東京、大阪、サンフランシスコ
東京での生活をはじめて10日が経った。引っ越し+片付け作業はとても大変だったけれど、喉元すぎればなんとやら、ダンボールとゴミにまみれた部屋もかなり片付いて、簡単ながら食事を作り、快適な寝床で眠る人間らしい毎日になってきた。

前職を辞めたのは7月31日付だが、引っ越し準備があるので20日の出勤を最後に、それ以降は有給休暇を消化させてもらってひたすら荷造りをした。ひとり暮らしのくせに荷物が多すぎてうんざりした。
住んでいた大阪の街をとても好きだったし、大好きなバレエの先生やお仲間とも楽しく稽古をしていたし、仕事も脂が乗ってくる年代になって、これからまだまだやれる段階で退職してしまうのはとてももったいなかった。なにより70歳を超えた母と、姉やその家族と離れるのは本当にさみしく切ないことで、東京行きの新幹線がやってくる新大阪駅のホームでこらえきれず、いい年してボロボロ泣いてしまった。そしたら見送りに来た家族もボロボロ泣いたのでおかしかった。周囲の視線が辛かったけれど、一生に一度と言うことでご勘弁いただければと思う。車内で食べなさいと姉がくれた柿の葉寿司がとてもおいしかった。

断腸の思いとまでは言わずとも、後ろ髪引かれながらこっちにやってきた。けれど、来たら来たでその生活にわりとすんなり順応して、生まれてから33年間過ごした大阪での生活はすっかり美しい思い出になってしまいつつあるのだから、切り替えの早さというか薄情さというかに我ながら呆れてしまう。





ついに
退職届を出した




稽古は強かれ 物数を尽くす(1)
日曜はひさびさに主宰であるE先生の稽古を受けることができた。明るくて楽しくわかりやすく、解剖学的な視点からも指導してくださるのでとても勉強になる。大勢の生徒をまとめる立場でありながら、先生自身も常に踊りを学んでおられることがよく分かる。
事情があって、この夏に講師陣も運営体制もメソッドもガラリと変わってどうなることかと思ったけれど、とてもいいふうに動いているように思う。先生方は遠方から通ってくださって大変だろうけど、どうか今後もよろしくお頼み申し上げたい。

【プリエ】
膝を足の小指側に広げていくつもりで(床をさらに押せる感覚がつかめるはず)
ふくらはぎを前方に押し出していく感じ(おのずとお尻が締まり内転筋が緊張しアンデオールする)

【ポールドブラ】
腕の付け根からではなく肩胛骨で動かす(肩胛骨を動かせば自ずと腕は動いてくれる)
自分の思うもう1つ向こう側を通る気持ちで。呼吸を忘れずに

【シェネ】
・顔の付け方(例・下手→上手):脚右・脚左(顔!体反転)脚右・脚左(顔!体反転)・・・
・足の運び:両足の間隔がだんだん開いてしまいがちだが常に1番ポジションをキープ。妖怪ぬりかべになった気持ちで

ポワント練習で久々に左足薬指にマメができてつぶれた。痛いけれど、自分はここに負荷がかかるような立ち方してるんだなあと反省材料になる。キズパワーパッドは本当に偉大。些細な擦り傷や切り傷で杞憂することが少なくなったんじゃないかな。そういえば、おととい行った「クレオパトラとエジプトの王妃展」で見た古代エジプト人の彫像の足は、みんな人差し指が長いギリシャ型の足をしていた。わたしも同じギリシャ型なんだけどこれって民族性とかあるのかな。
足の指はどうせボロボロになるので、すっかりペディキュアをしなくなった。稽古場のみんなもそうだろうと思っていたら、ある日ふとお見かけしたみなさんの足は綺麗に彩られていた。つまり自分はバレエを言い訳にして女をサボっているだけであることが明らかになったけどまあいいや。明日も稽古がある。




すじこをいくらにした
スーパーで安くなってたので、よっしゃいっちょやったるかと思い、生まれて初めてすじこをほぐしてみた。ぶっかける塩やら水道水やらとの浸透圧でプチンとはじけちゃうんじゃないかとか心配していたけど、卵膜は思っていた以上に丈夫だった。あと、人間で言うところの子宮内膜的なものが思っていた以上に卵の一つ一つを守っていた。そりゃあ受精して成長したらりっぱなシャケになるんだもんね。母シャケも生半可な気持ちで膜つくらないよね。

ひとつかみの塩をまぶして時間を置き、風呂より熱めの湯に通してぐるっとかき混ぜたときに、白く小さいくらげのような膜が卵からファ〜っと剥がれていった様は、なんとも言えない"取れてる感"があってとてもよかった。根気が必要な作業だったけれど、あらかじめ味付きで売られているいくらの価格が高いことがよく分かった。
なんとなくコツを掴んだ気がするし、次はもっとうまくできそうな気がする。つまり今すじこが出回ってるうちにほぐして味付けて冷凍しておけば、正月前に「ちょびっとしか入ってないのに高いようエーン」と泣きながら買わなくても済むんだな。

今日はこれにいってきたけど、押し寄せるおしゃれホッコリの波に気持ちが萎えてしまい、タコ焼きだけ食べて帰ってきた。それがまた大してうまくもなく割高だったので残念感上乗せ。天王寺でやまちゃん食べればよかった。
その場にいればいるほど腹の底に黒いものが渦巻いてくるような気持ちになってきたので、これはよくないと思いとっとと退散。参加されていたひとつひとつの店は、センスのある良い店なんだとおもう。だからこそ人は集まるし。少し前までああいうイベントは大好物だったけど、今日の自分の拒絶反応には我ながらすこし驚いてしまった。なんでここまでいやになっちゃったんだろう。ちょっと頭冷やして考えよ…

予定外に早く退散したせいで予約してた映画の上映までに時間があったので、「クレオパトラとエジプトの王妃展」へ。会期が今日スタートしたばかりだったので混雑もしておらず快適だった。
日本人が、後に「貝塚」と呼ばれるとも知らず、食ったあとの貝殻をひたすら同じところに積み上げたり("ゴミ捨て場"の概念があったところがなんか好き)、縄目模様の土器を作ってドングリを煮たりして生きていた中(日本の縄文時代がやけに長い理由もなんか好き)、古代エジプシャンの文明レベルたるや…。そりゃキャロルもタイムスリップしちゃうよ…

古代エジプト王妃たちの独特の名前には当然だけどひとつひとつ意味があって、例をあげるとアクエンアテン王の妃でツタンカーメン王の母君だったとされる「ネフェルティティ」は「美しい者が訪れた」という意味だそうで、ド直球に詩的な名付けをする当時の人々の感性に心打たれてしまった。時間の流れに埋もれてしまったものもたくさんあるんだろうけど、目にしたもののひとつひとつが、よくぞこれまで残っていてくれたという気持ち。あともちろん発掘して調査して研究して謎を解き明かして守っていく人々の探求心と情熱にもビシッと最敬礼である。

映画は色々なマンになることで有名なコリン・ファースさんが、ピシっと仕立てたスーツで大暴れする「キングスマン」を。この人の正装が似合うところはもちろんだけれど、しゃべり方がいいと思う。英国紳士マンの大立ち回りは眼福だった。けれど、暴力描写が思っていた以上にぐろかったので若干ひいてしまった…そういえば「キック・アス」もこんなだったか…
血などで汚れない美しいコリンマンをじっくり見続けることができるよろこびでは、「シングルマン」のほうがふさわしいかもしれない。シングルマンもっかい見たくなった。あと、いつまで言うんだという感じだけれど、アクションの要素がある作品はどんな映画をみても「マッドマックス 怒りのデスロード」と比較してしまうようになってしまったのでわたしはもうだめだ。早いとこアカデミー賞全部門マッドマックスチームにやってくれ〜〜〜V8〜〜〜〜




コーヒー飲めなくなった
もともとそんなにたくさん飲むほうではなかったけれど、コーヒーを飲むと、子どもかよってかんじだけど夜眠れなくなったり、動悸が速くなったり、低血糖起こしてるときみたいに身体がぶるぶるしたり(本態性振戦という症状らしい)するようになってしまった。なんで?本厄だから?お祓い行ってないから?前厄の時にもらった破魔矢をそのまま飾ってるから?

症状が出ないときもある。けれど、症状が出る/出ないの基準が把握できていないので、飲むのをためらってしまう。コーヒーでロシアンルーレットを楽しめるカラダになってしまった。
体質的にカフェインが合わなくなったのかしらとも思ったけれど、緑茶や紅茶は平気。おしゃれコーヒーカルチャー爛熟期の中、かっこいいミルもケトルもドリッパーも揃えて「へっへっ『ブルーボトルコーヒー大阪店』とはワイん家のことや」と思っていたのでなんとももったいない気がするけど、身体がヤダといっているので素直に従うことにする。まぁカルピス飲めなくなるよりは全然いい。あんなに美味しい飲み物はないよな(マサ斉藤

バレエの稽古日を10月から週2回に増やした。バレエはつくづくキツく、とことん難しい。入門するまではこんなに厳しい世界だとは思っていなかった。3年も稽古を重ねれば、プロダンサーの半分くらいは軽々と踊れるようになるものだと思っていた。ピルエットも1度に3回転くらいいけんじゃないかと思っていたけれど、それは完全に間違いだった。天童よしみに「ナメたらアカン」と至近距離で歌われるレベルである。

プロダンサーが体現する、天空を思わせるような「ヒラヒラ、フワフワ、クルクル」は、踊ることに底知れぬ情熱を持ち、たぐいまれな肉体と精神を持った人々が、血のにじむような鍛錬に鍛練を重ねて初めて実現するものであることを、跳ぶのも回るのも、果ては立つことさえままならない己を情けなく思うたびに痛感する。あの「ヒラヒラ」も「フワフワ」も「クルクル」も、実際はハチャメチャにしんどい。息は上がって苦しいし汗も出るし爪先は痛い。竜平なら帽子を床に叩きつけて家に帰っているだろう。それをそう感じさせない踊り手たちは、本当に己を研ぎ澄ませた存在なのだ。

姫や王子や妖精が物語を紡ぐ、おとぎ話や夢の世界を実現する芸術性と、それ裏打ちする凄まじいアスリート性と精神性。ベジャールがバレリーナを指して「修道女でボクサー」と形容した話は有名だけれど、これは本当に言い得て妙だと思う。バレエには日本で言うところの武道や芸道に通ずるところがあるとおもう。華やかで夢のような儚さと美しさの裏にある何層にも重ねた鍛錬。そのギャップに私は惹かれるのかもしれない。

29歳の1月から始めて3年目。大人になってから始めるのは無謀だったと、鏡に映る無様な自分を見るたびに思う。他の稽古事を同じだけの期間やっていればもう少しサマになっていただろうとは、稽古場の先輩たちも口を揃える。月謝も安くはない。筋肉痛はキツい。身体はなかなか細くならない。パを覚えられない。怪我は怖い。いい年して嫁にも行かずヒラヒラの衣裳に身を包んでぎこちない醜態を晒すのは、己の恥は差し置いてご覧いただく方々に心底気の毒である。でも稽古日まで増やしてしまうのは、やっぱりもっと強くなりたいし、稽古後の爽快感とか、少しずつ鍛えられていく全身の筋肉とか、教師陣に共通する身体を鍛えている人特有のカラッとした男前感と、上達の遅い大人を見捨てずに教える根気強さ。そして辛さと楽しさを共有している仲間とか、ぜんぶひっくるめてやっぱりバレエが好きなんだなあ、みつを!ということです。かしこ




don't know how to write in my nikki

仕事用の文書は書けるし仕事用の写真は撮れるのに、日記はさっぱり書けなくなってしまったし写真も撮らなくなってしまった。
大きな要因はやっぱりiPhoneでSNSに書けるから、ということなんだけど、己と向き合うという点からすれば、フォロワーをはじめとする誰かに確実に見られることが分かっている前提で外向きに書くSNSより、ここに書くほうがはるかに内省的になることができていいんだろうなと思う。
まだ心に水分の多いころから書きためた文章や写真は、わたしにとってとても大切なものだ。10代の頃からインターネットの世界に日記めいたものは書いていた。もう消してしまってないけれど、もったいないことをしたなと思う。

写真は何年か前の正月 食べる甥を物欲しげに見つめる千代とのび太。

千代が4月29日に亡くなった。16歳3ヶ月。人間で言うと80歳くらいのおばあちゃんだった。
犬なのになぜか大御所のような貫禄があって、好奇心が強く、遊びが上手で、人の心を読むことに長け、6匹の子犬をりっぱに産み育てた肝っ玉母さんだった。
居間で話をしていると、かならず誰かの膝の上にちゃっかり乗っかってきて、ずいっと会話の輪の中に入って耳を傾けるような人間っぽいところがあって、そこがとても大阪のおばちゃんっぽくておかしくて可愛かった。

3ヶ月ほど前に会ったときはとても元気にしていたから、いつまでも元気でいてくれるものと信じ込んでいた。4月中頃からぐっと容態が悪くなったらしく、4月27日の月曜日、父の法要のために休みをとって実家に帰ったら、いつもはしっぽを振って出てくるのに寝床から出てこなかった。おかしいなと思って覗いてみると、千代はとてもやせ衰えて、呼吸をするのもしんどそうだった。ごはんも食べられず、歩くのがやっとという感じだった。もう長くはないことが一目で分かったのですごく泣いてしまった。母も姉も心配させまいと言わなかったらしい。

何もしてやることができず、ただ撫でてやることしかできなかった。おなかを撫でてやると、もっと撫でれと言わんばかりに片方の後ろ足をひょいと上げる仕草を見せて、少し安心した。気持ちいい、もっと撫でてほしいという感覚がまだ残っていることが分かったから。

しんどくて頭ももうろうとしてるだろうに、千代はおトイレだけはしかるべき場所で行う習慣を崩さず、よたよたの足取りで用を足しに行き、そのまま室内をぐるぐるよたよたとパトロールして、そして寝床へと帰っていくということを日に何度か繰り返していた。

しっぽは、犬の心持ちを知るためのわかりやすいアンテナだと思う。パトロールの最中、身体はよろよろなのにしっぽだけはピンと立てて、元気なときそのまんまだった。死が目前に近づいて体力は限界のはずなのに、長いしっぽをゆらゆらさせながら歩くその気丈さに心を打たれてしまった。

死を迎えようとしている父を見たときも思ったことだけれど、生きものは、死の間際まで懸命に生きようとするんだなと、あたりまえすぎてばかみたいだけれど、よたよた歩く千代を見て同じことを思った。

その翌々日、4月29日の午後2時頃、千代はひどいけいれんを起こして、午後3時頃にかかりつけの動物病院で息を引き取った。姉が最期を見届けた。祝日で休みだったのに、実家に帰ろうかどうしようか逡巡していたわたしは結局死に目には会えなかった。

冷たく固くなった千代は、病院が用意してくださった楚々とした白い箱の中で、とても綺麗な顔で横たわっていた。そばには姉が用意したピンク色のカーネーションが手向けてあり、その横に持ってきた百合の花を添えた。

目覚めることのない眠りの表情は、「ちよぽん」と呼べば起き上がってきそうなほどだった。毛並みも美しく、ふわふわで良い香りがした。姉が死の前日、体力に負担を掛けない程度に洗ってやっていたらしい。

何度もにぎにぎさせてもらった、香ばしい匂いのする短い前足。短いわりに、かじりつづけてちびてきたチューインガムを両手(?)で挟みながら食べたりして、とても器用だった。短くなったチューインガムは、人間に持ってもらうととても食べやすいことを千代は知っていて、中でもわたしは「短くなったガムを快く持ってくれる人」として認識されていた。「持ってくんろ」と言わんばかりの表情で、ちびたガムを咥えながらキラキラの瞳で見つめてこられては断れず、よく短いガムを持たされた。手がよだれでべとべとになった。
何度も顔をうずめた首すじのもふもふの毛並み。茶色い毛並みの耳にスッとひとすじ入る黒い飾りのような毛。長くてゆらゆらする綺麗なしっぽ。立派な胸板。妊娠中は床すれすれにまで大きくなった、ふわふわに柔らかいおなか。

遺体と向き合う時間は、なんと言っていいのか、何度経験しても胸を裂かれるような思いがする。もうこの愛しい姿をみることができなくなるのかと言う思いと、さいごまでよく頑張ったと言う思いとがないまぜになって、ぐちゃぐちゃになって喉を押し潰すようにこみ上げる。
祝日だったこともあり、実家の裏に住む姉一家と、たまたま電話をくれた叔母までが、千代との別れに駆けつけてくれた。立派なお通夜になった。翌日、千代は先住犬たちが眠る山の霊園で弔われて、空気に溶け込んでいった。

27日に父の法要がなければ、たぶん千代が生きているうちに会えないままお別れになっていたと思う。偶然だろうけど、父が会わせてくれたんだなあとわたしは思う。祝日に旅立ったことで、人間がするような立派なお通夜もできた。ちよぽんはすごい子だ。
高校1年生のときにペットショップまで迎えに行った日のことはずっと忘れないし、思い出のなにもかもが愛しい。家族に愛情をたくさんくれて、姉のなによりの心の支えだった。ありがとうの言葉しかない。

天国で、さきに行った先住犬の福ちゃんとのびちゃんといっしょに、お父さんの膝の上にいると思う。
どんな形でもかまわないから、またきっとどこかで会いたい。




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不動産の相続の件で司法書士と面談。
おおかた予測はしていたけれど、うちは相続人の中に問題のある人間がいるので、手続きは一筋縄ではいかない模様。
グッタリしたけれど今後取るべき道筋がつかめたのでよしとして帰宅。やるしかないので最後までやりきる。
裕福な家庭だけが残しておくべきものだと思い込んでいたけれど、
うちのように豊かではない家庭であっても、公正証書遺言はきちんと残しておくべきことを痛感した…バタリ




われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか

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9月24日22時58分 父が死んだ 膵臓がんだった

本当によく頑張ったと思う 頑張りすぎたぐらい
やせ衰えた姿になっても 最後の最後まで生きようとする姿を見せてもらった
本当に強い人だった

仏式の葬儀は 死んでからも果てしなく旅はつづくことを表現する儀式だった
死をそういう世界観で捉えることで 送る側の気持ちをなぐさめる働きもあるのかもしれないと思った
旅人の服装をして 生まれてから死ぬまでを全うした父の身体は
とても強い火に包まれて空気に溶け込んでしまった
骨はとても立派だった

生きものは死んだらどこへ行くのか

肉体も精神も空気に溶けこんで 宇宙が生まれる前のなにもないけれどなにかがあるような茫漠としたところに
ぐるぐる回りながら戻っていって いずれまた戻ってくるような
そんなかんじの旅をわたしたちは続けているのかもしれない

おとうさんありがとう これ以上は泣いてしまって書けない
わたしの中に いろいろな人生が息づいている




ぷや
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母方の祖父の父、つまりわたしの曾祖父が時計職人であったことを最近知った
実家にはやけに古めかしい手巻きのぼんぼん時計があって、
今もぜんまいを巻いてやることさえ忘れなければ、
正確に時間を刻んでぼんぼんと懐かしい音で時を報せる達者な時計である
それは、父親とおなじく時計職人の道を選んだ、祖父の兄か弟からもらったものだという

祖父は自動車やらいろいろな機械のメンテナンスやらなにやらで生計を立てていたらしく、
長女の母はよく、「ホレ、エンジンをかけてみんね」と、
エンジントラブルを起こした自動車の修理を手伝わされたらしい

鹿児島の山奥のとても田舎では、メカニックの存在はきっと重宝がられただろうなと想像する
子どもの頃、祖父の形見の立派なコンパスを母からもらったけれど、
その価値をよくわかっていなかった当時の自分は、今思うとかなりぞんざいに扱っていた
黒くて重々しいケースには、針か何かで削って記したであろう学生時代のじいちゃんの几帳面な字で
勉学に打ち込むことの大切さを自らに言い聞かせるような言葉と彼の名前が彫り付けてあった
こんど実家に帰ったら探してみる

いろいろな人生がわたしの中に息づいている




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